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zoom RSS 大伽耶を作った偉大な王「卑弥呼」 韓国古代(2) 

<<   作成日時 : 2017/07/15 17:08   >>

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倭国は後漢の146年から189年にかけて国が乱れてお互いに攻め合い何年も主がいなかったとされる。出雲で国譲りが行われ出雲国の役人や軍人などが出身地の高霊に戻された。出雲の管理は天照神の子ども天穂日(あめのほひ)に任された。

この当時の人口は倭人伝・魏使の調査では伊都国千5百戸、奴国2万戸、国譲りで人口の減った出雲(投馬)国で5万戸、邪馬台国7万戸となっていた。現在でもこの高霊の町は3万余の人口であるが大量の復員者でゴッタ返していたことは想像できる。

高霊は食料や住宅が不足し、仕事がないなど生活の基本条件が整っていなかった。天候や戦争では2、3年で片付く問題も40年余の騒動になった。このような状況の中、女性リーダー卑弥呼が立ち上がった。

彼女は狭い土地で仕事も無く争っている男どもにまず仕事を与えなければならないと考えた。新羅や金海からの情報で金海や慶州では紀元前から倭人に依る鉄の生産が行われ韓・濊・倭人が市場に集まっていた。
魏志東夷伝に記載されている規格化した鉄片は貨幣としての価値があり漢の楽浪郡や帯方郡との取引が行われていた。

伽耶山からも取れる鉄鉱石で鉄貨を作り市場で取引できればお金が稼げるし生活が豊かになり今の困難な生活から抜け出せると卑弥呼は考えた。ここで産する土は焼き物にも向いていることを知り女実業家として活動を始めた。鉄の生産設備は大伽耶博物館に展示されているよう小規模なものであった。
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図―1 古代の製鉄炉(この程度なもの)
伽耶山から離れた美崇山(734m)の麓に都合の良い鉱山を見つけて鉄生産を開始した。また近くに土器生産工場も設置して容器を作り登り窯で焼成した。このような仕組みを作り上げると仕事にあぶれた大量の人がいたので生産量は日を追うごとに拡大した。写真でも分かるように設備規模は小さいので比較的簡単に作ることは可能な上、鉱石の収集運搬、木材を集めて木炭を作る、生産設備の運転・管理、できた素材の加工、港までの輸送など働く場所が急激に増えた。また金海に運ぶとお金が入った。
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図-2 高霊の鉄製産地
この美崇山の麓は原料の鉄鉱石や砂鉄などが取れ、右側の水路で搬出し金海の港まで運べる。しかしこの山は阿羅伽耶と大伽耶の境界線が通っていて左側の斜面には有名な冶爐鉄山が阿羅側にあった。このため阿羅伽耶と卑弥呼は争っていたが後の時代には大伽耶に含まれ高霊地区の大生産地になっている。大伽耶の鉄鉱山は:冶爐鉄山、黄山鉄山、尺旨山鉄山、毛台里沙鉄鉱などがある。鉄を農機具に利用することで高霊盆地の農産物の生産力を飛躍的に向上させた。またお金と豊かな生活、しばらく後には鉄で武装した無敵の軍隊までが出そろい騒動の地高霊がすばらしい国に生まれ変わった。スサノオが誕生した当時の大伽耶国の再生である。卑弥呼はここに暮らした当時の人々に大感謝されて去った証拠がこの第44号墳であったと考えた。


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